不燃性の物質で致命的な火事を起こしたという罪により有罪:
マーク・カーク ストーリー

著者:Mark Kirk


和訳:藤澤和彦・朴龍皓

初出: Justice:Denied magazine, Issue 26, page 8

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写真:中 Mark Kirk / 左 M. フォックス(NIAD ディーレクター)/右 中野温子
場所: Delaware州刑務所内




 僕のこの物語は、1996年11月の最後の週あたりに始まる。ある日、僕が仕事を終えて帰宅すると、いっしょに暮らしている恋人のダーレーンが、電気コンロのコイルバーナーが炎を上げて燃え上がった、とうったえた。燃え上がったのは右側のコイルバーナーだと言うので、その油でよごれた箇所を調べてみた。そこは料理でこびりついた油でべったりだった。そこでコンロの上蓋を持ち上げみると、その内側全体が文字どおり油まみれになっていたことがわかった。僕は,できるだけコイルをきれいに拭いて、受け皿の上のアルミ箔を取り替えた。コイルが差し込まれたソケットの内部には、まだ油かすが残っていたが、それを拭うことはできなかった。そこで僕達は、上の階に住んでいるメンテナンス係のスティーブ・リベラが点検してくれるまで、そのコイルバーナーを使わないことにした。そしてダーレーンは彼女の子供、ジェイソン(16歳)とブランドン(10歳)にも,そのコイルバーナーを使わないように言い聞かせた。

 それから1週間ほど経った1996年12月4日、ダーレーンと僕は午後から酒を飲みに外出した。飲みに入ったバーで僕達は、友達のジョーイ・オーティズとトム・ギャレットの2人に偶然出会った。そして夜遅くになってから、僕達4人はバーを出てジョーイの友人宅を訪ねた。トムは途中でハーフパイント(235cc)のキャプテン・モルガン・スパイス・ラム酒を買って、一緒に持って来た。僕達は1時間ほどその友人宅にいて、また元のバーに戻った。


 僕達は、1時間ほどバーで過ごした後、4人で僕達のマンションに帰った。その途中、僕はリカー・ストアーに寄って、12缶パックのビールと1パイント(470cc)のキャプテン・モルガン・スパイス・ラム酒を買った。

 その後、パーティーの途中、ダーレーンと僕は激しい口論となった。それと言うのも、彼女がトムと戯れていちゃついていたからだ。そのため,トムとジョーイは僕達が喧嘩しているあいだに帰ってしまった。この日は早い時間から酒を飲み続けていたので、その夜,僕達は2人とも誰の目にも明らかなほど、ひどく酔っぱらってしまっていた。

 次に僕が記憶しているのは、目が覚めると、部屋が煙で一杯になっていたことだ。ダーレーンやジェイソンが台所で大声で叫んでいた。僕はなにが何だかわからなかったが、ダイニングルームを通り抜けるとき、コンロが燃え上がっているのを見たと記憶している。そこは強烈な炎の熱気だったし、煙は濃く、黒かった。僕は自宅ドアからマンションの廊下に出たが、そこでジェイソンが「猫がまだ中にいる」とわめき立てていた。それで僕は猫を捜しに家の中へ戻ろうとしたが、金属製のドアを押し開けようとしたとたん、手を火傷してしまった。その時既に、家の中へ戻るには炎の熱が余りに強よすぎたのだ。そのため、僕は引き返して、走ってマンションの表玄関に出た。そこには、既にダーレーンがいた。

 外へ出てすぐ、ダーレーンと子ども達と僕は救急士の手当を受けることができた。これが12月5日の早朝のできごとである。そして午前6時、僕達4人は警察本署に連れて行かれ、午後3時30分まで、火事についての質問を受けた。僕達はその火事で3人の人が死んだことを知らされた。そして僕は翌日にポリグラフ・テストを受けるために、警察に再び出頭するよう命じられた。

 12月6日午前9時、僕は警察本署におもむいた。そこで僕はまるで尋問のようなやりかたで嘘発見器テストを受けさせられた。そしてポリグラフ・テストの後、僕は別の部屋へ連れて行かれて更に数時間の尋問を受けた。その数時間の間、死刑の話を持ち出したり、さまざまな心理的揺さぶりで脅かされた結果、僕は「電気コンロのコイルバーナーにラム酒を注いだ。」という自白をしてしまった。


 僕は
数ヶ月後、公選弁護人(判事選任の弁護人)から尋問調書のコピーを受け取ってみてはじめて、調書の中に明かに矛盾があることに気がついた。例えば、尋問の間じゅう僕は弁護士を呼んでくれるよう要請していたのに、そのことはその調書のどこにも書いてなかった。調書に記録された尋問のやりとりには、説明のつかない不自然な改ざんがあり、その事実に注目するようにと、弁護士に注意を喚起した。それはまるで編集されたかのように「整然」としており、実際の取り調べのやりとりとは明らかに異なるものとして作成されていた。

 

 そこで僕は弁護士に、この自白を取り消すことができないか尋ねてみた。すると弁護士は、
形だけでもやってみましょうか、と言った。

 裁判の戦略は、70プルーフ(30%)のキャプテン・モルガン・スパイス・ラム酒が電気コンロで燃えないことを証明することだった。テキーラやバカルディ151のようなものであれば、トーチランプのように燃やすことができるはずだ。なぜなら、それらは混ぜ物のない純度の高いアルコールだからだ。しかしながらキャプテン・モルガン・スパイス・ラム酒には香料や水が混ぜ合わされていて、そのために発火することができないのだ。

 
 判事法廷(陪審員なしの裁判官のみによる法廷)は1997年10月に開始された。僕はすぐに有罪の宣告をされて、終身刑3回に加えて懲役23年の判決を受けた。上訴にあたって、弁護士の訴状はあまりできがよくなかったが、幸いにもデラウェア州最高裁判所は上訴を受理した。

検察は、ぼくが警察の取り調べでとられた嘘の自白を重要証拠として公判中ずっと維持した。ダーレーン、ジェイソン、そして友人のトムは3人が3人とも、ラム酒は火事が発生するよりも前に既に飲まれてしまっていたのを見ている、と証言した。ジェイソンは、確かにトムが最後の酒を飲み、その後リビング・ルームにその酒の空ボトルが転がっているのをはっきり見たとさえ断言している。また彼らは、あの日の夜はラム酒のボトルは1本しかなかったとも証言している。リカー・ストアーの領収書がこのことを証明している。友人のジョーイは、弁護証言の中でそのことを認めている。そしてまた彼らの誰もが、キャプテン・モルガン・ラム酒は僕のためではなく、トムのために選んだ酒だったと言っている。これに対して州政府はこれら証拠を無視して、こともなげに、そこには2本以上の酒のボトルがあったはずだ、と言った。さらに不可解なことに裁判官は、その夜そこにはプレゼントの酒ボトルが3本以上あった可能性もある、と断定した。

僕の嘘の自白によれば、ぼくはマンションビルの玄関前に立っていて、みんなが建物から逃げている間ずっと火事を見ていたことになる。これに対しの検察側証人のニューキャッスル郡警察のワゴンホフ巡査は、現場に到着したとき、ダーレーンと僕が一緒に建物から出てくるのを見た、と証言した。これほど確かな目撃者が他にあるだろうか(やはりぼくの自白は事実と異なっていたのだ。)。何と言ってもその男は訓練を受けたプロフェッショナルの警察官であり、しかも僕達とちがってその時彼はシラフだったのだから。


また、裁判で提出された酒のボトルは、建物から遠く遠く離れた屋外で発見された。しかし、そのボトルには僕の指紋は全くついていなかった。


さらには、ここは興味深いところだが、こんなこともある。供述に際して、尋問者の誰もが最初に必ず言うことがあった。それは、このままでは死刑になるぞと何度も何度も脅すのだった。そして検察は公判でそれを調べた。こうして思うと、僕が供述を拒否したこと自体が、有罪の心証を招き、僕にとって不利に作用したということになる。ある火災捜査官は、自分はどんなことでも、いかようにでも思い通りにできるのだから、もし僕が火事を起こしたことを認めなかったなら,僕を故意に人々を焼き殺した冷血、極悪非道の殺人鬼として仕立て上げるつもりだった、とさえ言っている。それは、全て調書に書いてある。
 
また,調書の中には,もうこれ以上話したくないと僕が2回彼らに言ったが、彼らはおかまいなしに尋問し続けたことが記されている。拘束されている間にも、僕が喫煙や入浴のために外に護送されていた、と数人の警察官が証言している。調書には、警察官が僕にこのことを思い出させる箇所までもある。しかしながら、裁判に提出された調書や尋問録音テープには,ぼくが休憩のために取調室を出たり、また戻ったりしたということに言及した箇所がどこにもないのだ。ビデオ・テープにも、僕が取調室を出たり、戻ったりした場面は映っていない。さて、テープや調書のこれらの部分に何が起こったのだろうか? ビデオ・テープには、ぼくが3回取調室を出て行こうとしたのに、そのたびに、ここにいなければいけないと告げられている場面までが映っているのだ。今、僕がはっきり正直に言えることは、煙草も吸わず、シャワーも浴びずに何時間もの間、一所に居続けられるわけがないということだ。テープのそれらの部分は、僕の要請に従って弁護士に削除させるべきだった。


「70プルーフ(35%)のラム酒は燃えない」
 

裁判に先立って,僕は繰り返し弁護士に言っていた、70プルーフ(35%)のラム酒が燃えるわけがない、言うまでもないが、電気コンロを使っても結果は同じだ、と。僕は弁護士に、この事実を実証するような実験を誰かがしてくれないものか、と話した。ところが弁護士は僕の要請を拒否し続けた。最終的に、友人や僕の家族が公選弁護人事務所の所長に何度も電話した結果、やっと聞き入れてくれた。そして弁護士は、ニュージャージー州警察の犯罪研究所で19年の職歴を持っている法廷化学者のスタンレイ・ブロスキー博士の協力を得られるよう、依頼しているところだとおしえてくれた。

ブロスキー博士が僕の弁護士に渡したビデオ・テープ中身は、キャプテン・モルガン・ラム酒を電気コンロのバーナーで発火させる実験を数回行ったものだった。博士の実験はきちっと管理された中で行われ、また記録されていた。そして博士はキャプテン・モルガン・ラム酒を発火させることができなかった。2~3日後,僕の弁護士が来て、僕を信じなかったことを謝った。その後、裁判の2~3日前になって突然、火災捜査官は裁判に提出するための燃焼実験テープを自分らも作ったと発表した。そして両方のテープが裁判に提出された。

 
 火災捜査官作成のテープには最初に、液体が半分だけ入った1本の酒のボトルが映っている。その後画面は空白になり、次に、6~7mほど離れた所に誰かが、液体がまるまる入ったボトルを持って立っているのが映る。火災調査官はその人の後ろでコンロの横に立っている。コンロのバーナーコイルが白熱して燃えるように輝いている。そしてボトルから落とされたその物質の最初のしずくがバーナーに触れるやいなや、60~90cmに達する激しい火柱が立ち上がった。


弁護士は証言台の火災捜査官に、なぜ酒のボトルは最初は半分しか満たされていなかったのかと尋ねた。弁護士は2度までテープを巻き戻し、再生してみせた。それでも火災調査官のウィラード・プレストン3世は、画面を正確に見る限り酒のボトルは一杯に満たされている、と言った。それはあまりにも見え透いた嘘だった。また彼は、ラム酒を発火させるためにはあらかじめ受け皿の底に溜まっていることが必要だったはずだ、と証言した。しかしながら,これは彼自身のテープによって誤りであることが示された。

 
  検察側のテープを見た後、ブロスキー博士は、コイルが白熱で燃えるように輝き続けるはずがないと言った。そして博士は、コイルの白熱は偽造されたものに違いないと結論を下した。

ブロスキー博士のテープは、博士が一つ一つ実験手順を説明しながら法廷で上映された。博士は問題のラム酒は70プルーフ(35%)しかないのだから、実際のところ2/3は水であることを説明してくれた。問題のラム酒は、火災捜査官がほのめかしたような発火燃焼に十分なアルコール含有量を含んでいなかったっことはあきらかである。博士はまた、コイルの火ではない炎を上げる直火でさえ問題のラム酒を燃やすことはできなかったと証言した。


 しかしながら、ブロスキー博士が証言を終えた後、検察官は彼をあざ笑わった。検察官は博士をいかさま師とまで呼んだ。あいにくブロスキー博士は、あたかもかつて卒中か何かを患ったかのように見えて、こればかりはどう繕いようもなかった。それでもなお、70プルーフ(35%)のラム酒は電気コンロで燃えない、という事実にかわりはない。


 裁判で示されたコンロの証拠写真があった。そのうちの一枚の写真を見ると、コンロの上蓋の裏側が大量のこびりついた油で覆われていて、実際にはそこが燃えていたのだ、ということがはっきりとわかる。これは、ダーレーンが言っていたとおり、コンロの内部が油まみれであったことを証明している。火災調査官は、もし何らかの実験がコンロのあの部分で行われていたらどうだっただろう? と尋ねられて、「その必要はあったかもしれないが、その結果何が起きるかは誰にもわからなかった。」と答えた。(フン、口は重宝なものだ。)

 
 この事件に関しては、幾つかの政治的な絡みがあったことを、指摘しておきたい。「ビーバー・ブルーク」というマンションが建てられた時、建築検査官事務所に関するあるスキャンダルが暴露された。建築検査官達は、州の規則や要件に適合しない建築物の検査をパスさせる見返りに、建築業者から賄賂を受け取っていたようだ。同様の事は、近くの、僕が育ったブルークモント・ファームスでも起きていた。その時の各新聞によれば、2人の人物が起訴されるとか、免職されるとかいうことだったが、現在に至るまで、まったくそのような動きはない。

 
 火事あと、地方新聞は、なぜ建物がそんなに急速に、激しく燃えたのか? なぜスプリンクラーが設置されていなかったのか? その建物が建築認可のための要件を満たしていたのかについて疑問を提する特集記事を掲載した。

 
 ギャンダー・ヒル・拘置所の一刑務官がある日私をわきに引き寄せて言うには、彼はボランティアの消防士で、あの火事のとき現場にいたというのだ。彼は20年間消防活動に従事していて、あんなに急速に激しく燃えた建物火災をこれまで見たことがない、と話した。あの建物は、各室の間に適切な防火装置を設置しないままで建てられてしまっていた、というのが彼の結論である。もちろん、これはあくまで絶対口外無用という約束で話してくれたことだ。彼は言った、「僕も家族のことを考えなきゃならないからね。」


 新聞にその特集記事が載った直後から、僕は集中的に捜査の対象とされるようになった。警察には新聞で暴露された情報から世間の注意をそらせる必要があったようだ。こうして、権力犯罪を隠すためにぼくに責任をおしつけるこの陰謀はみごとに成功して、今やメディアは市民の怒りを僕に向けさせるモンスターと化してしまった。
 
 もし本当のことが世間に知れわたったら、どうなっていたか、考えてみるがいい。きっと、亡くなった人の遺族に加えて、あの建物に住んでいる誰もが皆、数百万ドル相当の訴訟を起こしていただろう。ところが今、彼らは僕に対して憎しみを向けているだけだ。

 1997年12月の有罪判決以降、同様のマンション団地で40件以上の火事があった。しかも、同じ時期に建築された姉妹団地での火事は勘定に入っていない。僕は毎日、新聞でその類いの火事をチェックしている。またぼくにはビーバー・ブルーク・マンションが過去2年間を費やして大修理をしていたこともわかっていた。マンションのビルはそれぞれ一時に完全に解体され、建て直されていた。そこで僕は過去2年間の建築許可証や建築記録を入手しようと試みたが、獄中にあってそれはかなえられずにいる。

 
 2004年2月26日、有罪判決の取り消しを求めた3度目の上訴が、最高裁判事によって受理された。彼の決定は、デラウェア州最高裁判所判決---ウィリアム・V・ステート 828A 2d 906(デラウェア 2003年)---に論拠を置いていて、第一級殺人罪は「故意になされた殺人でないかぎり適用することができない。」というものである。最高裁判事は、検察がこの裁判で、故意になされた殺人であることを証明できなかった場合は、第1級殺人や第1級有罪判決という暴挙は取り消されなければならない、と命じた。その上さらに、公判裁判官の事実認定に基づいて、判決は3人に対する致死罪(殺意なくして不法に人を殺害した罪)と2件の第2級有罪に変更すべきであると命じた。検察官は終身刑にかえて懲役44年の刑を求刑せざるを得なかった。確かに死刑よりは軽くなったが、検察官は相変わらず有罪判決を求めた。


 家族にはもう弁護士に支払うための蓄えがなくなったので、ぼくは自分で上訴手続書を提出し、幸いにもそれは裁判所に受理された。これはまだあるべき姿への第一歩にすぎないけれど、ぼくは無実なのだから、なんとしても無罪釈放を勝ち取らなければならない。

 

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直接連絡先
Mark Kirk #291259
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